山 中 温 泉Yamanaka Onsen
山中温泉は、大聖寺川がつくる緑豊かな鶴仙渓沿いにある温泉地です。奈良時代の高僧・行基が温泉を発見したとされ、鎌倉時代に能登の地頭、長谷部信連が温泉地を再興しました。
江戸時代に、奥の細道の道中で当地を訪れた松尾芭蕉は、山中の湯を有馬・草津と並ぶ「扶桑の三名湯」と讃え、「山中や
菊は手折らじ
湯の匂ひ」と詠みました。芭蕉を魅了した湯とともに、湯治客への土産物づくりを通じて木地の技が磨かれた「山中漆器」、北前船の船頭が湯船の中で歌っていた江差追分から生まれた「山中節」など、温泉に深く関わる文化が今も残っています。
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山 代 温 泉Yamashiro Onsen
薬師山のふもとに立地する山代温泉は、白山へ向かう途中の行基が発見したと伝わります。江戸時代には共同浴場を囲むように宿が立ち並び、街が形成されました。湯治客は共同浴場に通い、寺社に参詣し、周囲の自然を散策して長逗留しました。石川特有の呼び方として、この共同浴場を「総湯」といい、総湯を中心とした街並みを「湯の曲輪(ゆのがわ)」といいます。
山代温泉は、情緒あふれる湯の曲輪の景観が今もよく残る、そぞろ歩きが楽しい温泉地です。再興九谷の拠点としても知られ、ここで陶芸の手ほどきをうけた北大路魯山人の足跡も残ります。
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片 山 津 温 泉Katayamazu Onsen
片山津温泉は「七色に変化する」とされる柴山潟の湖畔に立地し、白山を眺望できる美しい景観に恵まれています。1653(承応2)年、大聖寺藩主・前田利明が、水面に群れる水鳥を見て湖底の温泉を発見したとされます。湯にはミネラル成分が多く含まれ、疲労回復の効果が期待されます。
現在の柴山潟は、浮御堂と大噴水が水面に彩りを添え、昼は明るく開放的、夜はライトアップされて幻想的な雰囲気。潟を一周するサイクリングロードが整備されているほか、春から秋にかけては屋形船周遊や8月毎夜打ち上げられる湖上花火など、温泉とあわせて多彩なアクティビティが楽しめます。
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あ わ づ 温 泉Awazu Onsen
あわづ温泉は、718(養老2)年開湯の北陸最古の歴史を有する温泉で、白山開山の祖・泰澄大師が、夢のお告げどおりに掘ったところ温泉が湧出したという伝説が残ります。このとき泰澄が弟子に湯守りを任せた湯治宿は、今に至るまで46代にわたって経営を続けています。
江戸時代になると北前船による交易が盛んになり、全国から湯治客が訪れるようになりました。加賀藩主・前田利常も訪れており、お手植えの「黄門杉」が温泉街に立っています。現在、宿はすべて自家掘り源泉を有しており、同じ塩化物泉でも宿ごとに泉質と泉温が微妙に異なります。
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辰 口 温 泉Tatsunokuchi Onsen
辰口温泉は、日本海にも白山麓にも近い里山にあり、金沢からもっとも近い温泉地として親しまれています。養老年間(717~724年)には、村人が傷ついた馬の脚を温泉で癒やしたと伝わりますが、「龍が棲む」とされる手取川の氾濫により源泉は埋没。1836(天保7)年に、近隣の農民が薬師如来のお告げで温泉を掘り当てたのが、現在の辰口温泉の始まりとされます。
現在は総湯・足湯のほか、3つの老舗旅館があります。そのうちのひとつ「たがわ龍泉閣」には、地域の里山の風景と雰囲気を肌で感じられる田園露天風呂が評判です。「まつさき」は、明治の文豪・泉鏡花が逗留し、同旅館を舞台とした小説『海の鳴る時』を執筆したことで知られます。
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白 山 温 泉 郷Hakusan Onsen-gou
霊峰白山を頂く白山市は、そこから流れ出る手取川に沿うように、上流の白山麓、平野部の鶴来、松任地域、日本海に面した美川地域へと続く広大な地を有しています。白山温泉郷は、こうした白山市全域にある15の温泉地の総称です。山々に囲まれた秘湯の一軒宿から、手取川の峡谷沿いの温泉、海辺の日帰り温泉まで、さまざまな立地で、さまざまな泉質が楽しめます。
地域内にはアウトドアレジャー施設が充実しており、キャンプ、スキー、サイクリング、テニス、パラグライダー、海水浴などのアクティビティが楽しめます。自然の中で体を動かした後には、温泉で心身を解き放ってリラックス。山、川、里、海からもたらされる四季折々の食材による、食の楽しみも見逃せません。
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